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Owl Street Journal

すべての自由人に捧げる「ふくろう通り白書」。時代の変わり目に起こる出来事を左斜め下からブッタ斬り!

この状況を理解するために読むべき一文

無名のいち個人による不定期更新ブログとはいえ、

人様の文章をまんま紹介するっていうのは、我ながらどうかと思うのだけれど、

それでもこの記事は一人でも多くの人に読んでいただきたい。

 

神奈川新聞のインタビュー (内田樹の研究室)

 

長文を読むのが疲れるという人のために、ポイントを抜き出してみよう

(それでもかなり長くなるけど)。

 

<問題提起>

●米国が北朝鮮に対し先制攻撃した場合、日本国内にミサイルが飛来して国民が死傷するリスクはある。だが、これを「アメリカがする戦争になぜ日本が巻き込まれなければならないのか」と憤る声はほとんど聞かれない。

主権国家であれば、国土と国民を守ることをまず第一に考えるはずだが、日本政府は北東アジアの危機を高めているアメリカに一方的な支持を与えて、米国に軍事的挑発の自制を求めるという主権国家なら当然なすべきことをしていない。

 

<その理由>

●「対米従属を通じて対米自立を達成する」という国家戦略は敗戦後の日本にとってそれ以外に選択肢のないものだった。ことの適否を争う余裕はないほど日本はひどい負け方をしたのである。そして、この国家戦略はその時点では合理的なものだった。

●この成功体験に居ついたせいで、日本の政官は以後対米従属を自己目的化し、それがどのような成果をもたらすかを吟味する習慣を失ってしまった。

●わが国の国益よりもアメリカの指示の実現を優先する政権にアメリカは「同盟者」として高い評価を与え、それが属国政権の安定をもたらしている。

 

<つまりそれは>

 ●ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。

●日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意思に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことでみずからを「真の属国」という地位に釘付けにしている。

 

<しかし、そうはいっても>

●日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として現れる。

●主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。

●日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった。

 

 <そして、どうなったかというと>

●安倍政権の改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイディアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして政権担当者は「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たない国の統治者であるストレスを部分的に解消できる。

自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、剥き出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない。

 

<結論と提言>

明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。

●日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼンスも衰える。日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない。

●残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発大逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである。

●日本の人口はまだ1億2千万人ある。人口減は止められないが、それでもフランスやドイツよりははるかに多い人口をしばらくは維持できる。指導層の劣化は目を覆わんばかりだけれど、医療や教育や司法や行政の現場では、いまも多くの専門家が、専門家としての矜持を保って、私たちの集団を支えるために日々命を削るような働きをしている。彼らを支えなければならない。